太田ドクソの“atelier、白”

どくそがわたしを考えるところ。

わたしは、わたしが、だいすき!

悲しい気持ちでステージに立たなくていいことに、怒りをたたえてステージで歌わなくていいことに、本当に本当にほっとする。

何かしらの肩書に頼って、それに自分を寄せなくても、もういつでもドクソになれるのが、本当に本当に本当に心強い。

誰かや何かと戦いたいと思うとき、戦わなきゃいけないとき、武器になるのは言葉でも哲音楽でもなく、物のみかたとか世界だなと感じます。

世界があれば、何をやっても自分だと言える。何でも自分のものにできる。

言葉も音楽も、鎧にするにしてはちょっと脆いところがある。

 

哲学をもって、それを静かに体現することが、私には一番必要なことです。

お酒が好きだからどこでも飲むし、猫が好きだからその声に耳を傾けるし、セックスが好きだからするときは一生懸命するし、歌が好きだからステージに立つし、朝焼けが見たいから早起きする。

やりたい気持ちとか、好きだと思う気持ちが、いつもドクソを美人にしてくれることを知っているので、そういう風に暮らすだけですね。

 

ステージに立つとき、最近はいつもとても優雅な気持ちです。

悲しかったことや怒っていたことを、そんなこともあったわねオホホと思いながら話すとき、私は大人になっているなぁと思います。

そんなじぶんがだいすき。

死にたかった時、諦めないでよかったと最近よく思うようになりました。

ストレスについて辞書で調べましょう

何科にかかっても、たいてい診断結果はストレス。今までにかかった病院ぜんぶが実は裏で繋がっていて、「あいつはストレスっつっときゃ納得するんだぜ」とかなんとか言ってんじゃないかと思うほど同じ結果が出る。

 

おーたせんせいと付き合ってからずっと、特に結婚してからというもの、生きたくて仕方ないから、自分を大切に思うことが増えて病院に行くことが増えました。それまでの恋愛はほんと恋愛とよぶのもおこがましいような、エゴとか過去の失敗を今度はすまいと思う執念みたいなものとか、行き過ぎた憧れとかを煮こごりにした感じのものばかりで、彼のこと大事にしたいけど上手いやり方がわからないから、まずは自分を大事にしようと思って、ちょっとずつ「大事にすること」を学んでる。

 

つーか、東京に出てくるまでは病院なんて大嫌いで、怖いし、ほとんど行かなかったのに、最近はなんかあるとすぐ行きたくなるの。

なんだろうか……幸せを理由に、もっと若かった時に散々やらかしたたくさんのことを、今になって「あれ嘘ね、違うからね、違うでしょ、ほらね、ねっ、勘違いでしょ!ね!」とか言いながら必死に回収している感じが最高に滑稽だなぁ……と我ながら思うわ。

 

ああ生きたいなぁ。

自分を俯瞰して見てる暇があるなら、ストレスの無くし方でもググってろよと思うけど、結局そういう情報の積み重ねまで、「もう見たし」っていう新しいストレスになって積み上がるから本当アホ極まれりです。

 

愛は偉大だよ。

どうかその力でストレスを四散させてください。

宝石

生きたいというねがいを、口にしなくてもいいように生きたかった

死にたいとわざわざ思わなくても、死はおとずれるのに

生きることは願わないと、始まりもしないのよ

始まりもしないまま、たくさんの人が死んでいったの

 

朝焼けの美しさを知っている?

必死に叫んで、炎症を起こしているんだよ

まあたらしい朝などない

昨日に少し、セピア色を加えただけの一日が始まっただけだと

僕らはいつも、明日を、未来を、

新しいものだと錯覚しているから

足された色に気づかないで

糸の通っていないミシンを踏み続ける

その背中を、美しいと感じたい

痛みをおぼえても、叫ぶことをやめない暮らしを

僕は、美しいと思っている。

 

さあ眠って

もうこのまま一生目覚めないかもしれない恐ろしさを

足もとに忍ばせて、眠ろう

あなたの叫ぶ声が、僕のたからものでした

診断書

いいなぁと思うことを「いいなぁ」以外の言葉で表せなくなったら死ぬんだと思っていたけど、案外死なないものなんだね。

暮らしの中で日々生まれ続ける沢山の「いいなぁ」を、私は最近まるで言葉に出来なくなった。

「いいなぁ」は「いいなぁ」でしかなくて、ポエムにするとなんか冷めてしまう。萎えてしまう。

 

自分の言葉はいつも好きだ。

私の生活に、人を傷つける言葉や自分をころすための言葉がいらないことを、ちゃんとわかった2年ほど前から、私は私の言葉をもっと好きになった。

足りすぎる分、満ちる分、足りないと思う部分がどうしてもある。

それは、今まで「あった」ものが「なくなった」から。

あるべき姿の正しさを知って、私の幸せは意思をもって少しずつ、

かんぺきに近づこうとしている気がする。

 

私はもう、別れた男を守らなくていいんだよ。

私はもう、別れた男を恨まなくていいんだよ。

私はもう、ついた傷をはがしても平気なんだよ。

私はもう、昔のつらさなんて忘れていいんだよ。

 

そんな声がいつも背中を撫でている。

聞こえないふりをして。

私にはまだ、それがたとえ「いま」痛みを伴わないものでも、

まだ、まだ必要な、戒めだ。

傷つけてきた男たちに感謝をしたい。

傷ついてきた自分をたたえてあげたい。

 

そうして言葉が生まれる。

診察を怠ってはいけない。

 

「いいなぁ」という気持ちを、「いいなぁ」という言葉以外で、いつだってすぐに言えるおんなでありたい。

投票したんだから若者にもっと金をよこせ

お金を払ったら物がもらえるように

投票したから発言権がもらえるように思う。

若者の願いなんて、大したことない。

というか、大したことないことしか願えないような生活なんだ。

バブルなんて知らないし、好景気なんて教科書の中の出来事。

景気良くしようと政府が頑張ってるっていうニュースはいつになったら終わるんだろう。

国からの恩恵を受けている気に全然なれないから、個人的に頑張るしかない。

でも、個人的に頑張ったところでたかがしれちゃってる。

「たかが」とか「どうせ」とか、思うのって本当に意味がないなと思うけど、

どうしてもそう思わざるを得ないようなお粗末さがあるよね……国に。

政治のことは全然わからん。

でも、このままじゃ困ることはわかってる。

いつまでじじいとばばあのための政治をさせるつもりなんだろう日本の若者は。

いつまで「たかがしれてる」暮らしに悟ったふりをするんだろう。

 

大人にされたいようにされてちゃいかんね。

わが道我が道。

あべちゃん、私とデート一回につき700万円お小遣いくれるっていうのどーよ?

なーんつって。

答えを出す作業

寒い雨の日が続いて、意味もなくイラついたりしていたのが、日が出たことで少し落ち着いた。落ち着かないと、見えてないものが見えないまま、焦るだけ焦って動けもしなくて意味がない。

考え事がたまっているんだ。

やりたいこと、やるべきこと、やらなきゃいけないこと。

考えが絡まると止めてしまう癖がついてることに気がついて、それが諸悪の根源だと思う。

考え出したら、本物の結論を出す。

本物の結論を出すためには、視野を広げる。

視野を広げるには、物怖じせずに飛び込む。

パッパラパーだからという言い訳に甘えてももろいものしかできない。

 

決して簡単ではないことを、私は、やらないといけない。

魅せるためには、まず、みんなを知ること。

 

私から何が欲しい?

私は私を、「やれる人」にしてあげたい。

私は私を、やりきれる人に育てたい。

大切に思うものを守るためにたたかうという愛

僭越ながら昨日誕生日を迎えて、24歳になりました。

今年は「卑下しない、謙遜しない」を目標に 自分を叱咤激励しながら頑張っていければという次第です、応援よろしくお願いします。

 

さて、誕生日はディズニーランドに行って、たくさんお祝いをされて幸せでした。

キャストもゲストもミッキーさんも、みーんなありがとうの気持ちです。

ただ一つ残念なことがあって、これはどうしても言いたいということがある。

いつか自分への戒めになるかもしれない気持ちで書きますね。

 

最近ディズニーランドでは城前での座り込みやら、トゥーンタウンの木箱に乗るやら、写真撮影でのマナーの悪さがよく言われているね。

昨日も、お昼時を過ぎたくらいから代々木公園かと思うくらい城前は座り込む人ばっかりだった。

まあ、でも、100歩譲ってそれはもう仕方ないかと思う。

たぶんSNS用のその同じような写真、正直みんなそんな思い出自慢というか、フォトジェニックな私自慢には慣れちゃってるんだから、そのうち来るバカだったなーと思う日までは別にいい。

 

何が残念だったって、割り込みです。

あるとは聞いてたけど本当にあるのね。

キャッスルプロジェクションのね、ワンスアポンアタイムをちゃんと見たことがなくて、いいところで見たくて、1時間前くらいからパートナーズ像の前で待ってたの。

いいところで見られそうで、早めに来て良かったねーなんて主人と話してたんですよ。

周りの人は、エレクトリカルパレードから待ってたからもっとだね、すごいねって。

で、いざ、ワンスが始まって5分くらいかな?

突然チビたちがパートナーズ像前に走って来て身を乗り出してショーを見てるの。

なーんか、嫌な予感だなと思った、子供はチラチラこっちを見てるし、隙間があれば入って来そうな空気。

みんなちょっとピリついてるの、隣のお姉さんはビデオ回してて、最前のお姉さんは超良さげな一眼構えてて、でもめっちゃ気にしてるのは空気でわかる。

したら、その親?おばあちゃん?が後から来て、1番チビのちび太をぐいっと最前に押し込めて、自分も割り込み!

 

「あそこの隙間入れるから入れてもらいなさい」って。

 

いやいや、入れてもらうっていうより押し込んだよね。

そして100歩譲って子供は許してもてめーは捌けろよ。

 

もうその時点で私たちの周りの空気がピリっから、ビリビリに変わって。笑

そのおばさんが、立ったら中腰になったり座ったりするたびに空気が悪くなる。(何故かやたら動くのよね…)

挙句ショーの最後の方には子供が飽きちゃったみたいで、人をぐいぐいやって無理やり列から出ようとする始末。

 

おいおいおい……と苦笑いしてたら、私の隣でビデオ回してた女性が一言

 

「邪魔しないでもらえますか」

 

と。

 

おばさんは結局その後小さくなって、ワンスを最後まで見ていました。

終演後はショーが最高だったので私のモヤモヤは相殺され、最後にシューティングギャラリーとジャングルクルーズ乗ってごっきげんで帰ったんですが…言わせてください。

 

やっぱり、大人が率先してマナーを守ろう。

ディズニーランドのマナーは誰でも守れる簡単なものばかりです。

それが守れない大人のせいで、あのチビ太は、ディズニーランドでは(もしかしたらどこでも)割り込みをしてもいいということを学んでしまったことになる。

そして多分、割り込まず像のまん前の見辛いところで見ていた他のチビたちは、それを見て「ずるい」と思ったでしょう。

これはよくない。

キャストさんやキャラクターたちディズニーランド側は、ゲストの笑顔と安全のために、私たちのために、一生懸命やってくれている。

ゲストはそれをちゃんと理解しないと夢の国は壊れてしまいます。

 

「邪魔すんな」と言ったあの女性はすごいなと思った。

佇まいからして年パス持ちで通ってる人なんだろうと思うけど、あの発言は、たぶん自分の大好きで大切なショーを大切に思っているから出たものでしょう。

こういうと大層に聞こえるかもしれないけれど、自分が大切だと思うものを守るための力が彼女にはあるんだなと感じました。

あと1ヶ月足らずでワンスも終わりだもんね。

彼女はその体験を大切に思っていて、ちゃんと見たかったのだと思う。

私もちゃんと見たかったから、彼女にはありがとうの気持ちです。

ディズニーの中で、唯一残念だと思ったできごとでしたが、誕生日に起きたことだからこそ、なんだか意味のあるものに感じています。

わたしも「大切なものを守る愛」を、育てていければいいな。

 

子供時代に行くディズニーランドは、本当に生涯の宝物のような記憶になると思う。

私が今ディズニーランドが大好きなのも、子供の時楽しかったからだと思うし。

大人は、子供のその体験を守ってあげないといけない。

ディズニーランドで学べることはたくさんあるのに、大人がそれを勝手にすっ飛ばすようなことは絶対にしてはいけないですね。

マナーは守りましょう。

 

ながくなりました。

24歳、がんばります。

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